鉄道唱歌 山陽・九州編の歌詞(糸崎・三原・海田市・広島)・観光・歴史について、わかりやすく解説してゆきます!
↓まずは原文から!
すぎて今つく廣島は
城のかたちもそのまゝに
今は師團をおかれたり
さらに読みやすく!
すぎて今つく 広島は
城のかたちも そのままに
今は師団を おかれたり
さあ、歌ってみよう!
♪すーぎていまつく ひろしまはー
♪しーろのかたちは そのままにー
♪いーまはしだんを おかれたりー
神戸駅→兵庫駅→鷹取駅→須磨駅→舞子駅→明石駅→加古川駅→姫路駅→相生駅(旧・那波駅)→岡山駅→倉敷駅→福山駅→尾道駅→糸崎駅→三原駅→海田市駅→広島駅→西広島駅(旧・己斐駅)→五日市駅→宮島口駅→岩国駅→柳井駅→徳山駅→防府駅(旧・三田尻駅)
※鉄道唱歌に関係ある主要駅のみ表記
※鉄道唱歌のできた当時(1900年)は、防府駅(旧・三田尻駅)から先は開通していなかったため、徳山港から船で門司(九州)へ
尾道を出て、糸崎・三原方面へ
尾道の観光を終えると、広島県の列車の主な発着駅として重要な、糸崎駅(いとざきえき、広島県三原市糸崎)に到着します。
糸崎駅を始発・終着とする列車は多いため、多くの列車を収容するための広大な駅となっています。

現代となっては独特のフォントと雰囲気を醸し出す、「糸崎駅」の表記(広島県三原市糸崎)
また、今や広島エリアのイメージカラーとも言っていい「赤」を基調とした車両である「レッドウィング(227系電車)」もここから始まります。
糸崎駅のコンビニはとても重要
糸崎駅前には、青春18きっぷユーザーにとっては非常に貴重なコンビニ店があります。
というのも、「青春18きっぷ」を用いて1日で東京→九州という壮絶なる移動する場合(※)、糸崎駅でのわずか約20分での乗り換え時間で夕食を確保しておかないと、深夜まで買い物する機会がほぼないからです。
※昔は成功すればわずか2,410円で東京→九州まで行けたのですが、ダイヤ改正による減便などにより、現在では新山口駅までしか行けないようです。
なので、糸崎駅で乗り換え待ちをする際には、駅前のコンビニ店をいかに有効利用するかが、ここから先の長旅のカギになります。
山陽の重要都市・交通の要衝、三原市に到着
糸崎駅を1つ西へ行くと、
- 呉線(くれせん)
との分岐点でもあり、また新幹線も停車する重要な駅である、三原駅(みはらえき、広島県三原市)に到着します。

三原駅(広島県三原市)

三原駅(広島県三原市)
広島県三原市(みはらし)は、尾道市と並んで古くから平清盛の時代からの交通(水運)の要所です。
また、現在でも交通の要所として、また後述する大久野島(おおくのしま)への観光の拠点として重要な街です。
「うさぎの楽園」大久野島
なお、三原駅から呉線に乗り換えて忠海駅(ただのうみえき、広島県竹原市)で降りて船で15分ほどいくと、「うさぎの楽園」として有名な大久野島(おおくのしま)に到着します。
大久野島(おおくのしま)は、現在でこそたくさんのウサギが出迎えてくれる、世界的に有名で多くの外国人観光客も訪れるレベルの観光地になりました。
しかし元々は「地図から消された島」として、戦時中は毒ガスを製造していたのでした。
当時は国際条約で毒ガスの製造は禁止していたため、その事実を隠蔽するために地図から消されてしまったのでした。
戦後、1970年代に入り、たまたま野放しにされたウサギが野生化して、繁殖を繰り返し、一時期には約900羽になったとも言われていました。
(※2022年現在は感染症等の影響で減少傾向とのことです)。

大久野島のうさぎ(広島県竹原市)
大久野島のウサギさん達はとても可愛いので、エサを持っていってウサギさん達と戯(たわむ)れたいものですね!
大久野島については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

三原駅を出て、険しい山岳地帯へ
三原駅を出ると、沼田川(ぬたがわ)に沿って、一気に中国山地の山岳地帯を走っていくようになります。

山陽本線・沼田川の景色(広島県)
沼田川は「ぬたがわ」と読むようです。
山陽本線の前身の私鉄「山陽鉄道」
カーブが多く、なかなかスピードが出せない区間となっています。
これはJR山陽本線の原型となる明治時代の民間鉄道会社「山陽鉄道」の時代に、なるべく勾配を避けるためにやむを得ずカーブが多くなったという事情があることでしょう。
列車は勾配(坂道)に弱く、また当時はトンネルを掘る技術も現代ほど発達していなかったため、仕方ないことかもしれません。
明治時代のトンネルも!?

明治時代の山陽鉄道の時代から、恐らくそのまま残っていると思われるトンネル(三原~白市間)(広島県)
なお
- 三原駅~白市駅(しらいちえき、広島県東広島市)
間の山岳地帯においては、恐らく明治時代の山陽鉄道の時代からほぼ変わらずに残されているであろう、100年は経ってると思われるレンガ造りのトンネルがいくつか登場します。
なぜ明治時代のトンネルが、そのまま残っているのか?
ではなぜ、このような明治時代のトンネルが現在でも残っているのでしょうか。
例えば特急列車が通る路線であれば「新線(しんせん)」といって、より新しいまっすぐなトンネルによるショートカット路線が、後の時代に作られます。
例えば、
- 長崎県の諫早駅~長崎駅
- 福井県・滋賀県の敦賀駅~近江塩津駅
の区間などです。
いずれも、明治時代には山側の険しい峠道を通っていましたが、後の時代になって所要時間短縮のために、ショートカット路線が作られました。
諫早駅~長崎駅間については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

敦賀~近江塩津間については、以下の記事でも解説していますので、ご覧ください。

新幹線が作られると、もはや「新線」は不要になる
しかし、この区間は後に山陽新幹線が作られており、特急列車は存在しません。
そのため、新線は作られず明治時代のままのトンネルやルートとして残されているのだろうと思います。
もちろん、レールやトンネル内設備、その他鉄道設備などは、安全対策のため最新のものに日頃アップグレード・アップデートされているでしょう。
明治時代のまま残されていると思われるトンネルは、今となっては貴重で興味深いです。

明治時代のまま残されていると思われるトンネル(三原~白市間)(広島県)
白市駅過ぎ、勾配の厳しい「瀬野八」の区間へ
東広島市のエリアから、瀬野八へ
やがて白市駅を過ぎると、広島大学を中心に発展した街であり、「酒まつり」で有名な東広島市(ひがしひろしまし)の玄関口である、
- 西条駅(さいじょうえき、広島県東広島市)
を過ぎます。やがて、
- 八本松駅(はちほんまつえき、広島県東広島市)
を過ぎると、ここからは難所として有名な「瀬野八(せのはち)」という区間に入ります。
「瀬野八」とは?
「瀬野八(せのはち)」とは八本松駅~瀬野駅間の急な勾配が連続する山岳地帯・峠区間のことをいう難所です。
これは、
- 福島県と山形県の峠を結ぶ「板谷峠(いたやとうげ)」
- 群馬県と長野県を結ぶ「碓氷峠(うすいとうげ)」
などと並んで、難所区間として有名です。
つまり、ふもとの
- 瀬野駅(せのえき、広島県広島市安芸区瀬野)
で補助機関車(補機)を連結して、引っ張るようにして峠を駆け上がり、頂上の八本松駅に着いたら補助機関車を外す、といったイメージになります。
呉線との合流駅・海田市駅
瀬野駅まで降りてきて、瀬野川(せのがわ)沿いに、西へ進んでゆきます。
すると、先ほどの三原駅から分岐してきた
- 呉線
との合流点である、海田市駅(かいたいちえき、広島県安芸郡海田町)に到着します。

海田市駅(広島県安芸郡海田町)
駅名は「かいたいち」
「海田市駅」の読み方ですが、原文では、
かい「だ」いちえき
と濁点が入っています。
しかし、現在の海田市駅は
かい「た」いちえき
と濁点が入りません。
これは誤記なのか、鉄道唱歌の時代はこのような呼び方をしていたのかもしれません。
日本人初の金メダリストである、織田幹雄さんの出身地・海田町
広島県安芸郡海田町(かいたちょう)は、陸上選手の織田幹雄(おだ みきお)さんが生まれた場所として知られます。
織田幹雄さんは、日本人初の金メダリストとして知られます。1928年のアムステルダムオリンピックで金メダルを取りました。
織田幹雄さんはイケメンだったので、現役時代はファンレターの嵐だったことでしょう。
山陽の宿場町・海田宿のあった、海田町
また、海田町は西国街道(さいこくかいどう)の宿場町・海田宿(かいたしゅく)のあった場所です。
西国街道(さいこくかいどう)とは、京都の東寺(とうじ)を出発して九州に至るという、江戸時代まで鉄道がなかった時代に、人々が何日間も歩いて旅をしていた道のことです。
宿場町(しゅくばまち)とは、何日も旅する人々が泊まるための宿場のことをいいます。
あの菅原道真(すがわらのみちざね)公が大宰府(だざいふ)に左遷(させん)となったときにも、西国街道をはるばる通って行ったそうです。
徐々に広島市街地へ 「マツダ」の拠点が増えていく
海田市駅を出ると、この辺りから徐々に自動車メーカーのマツダの関連会社が多くなります。
マツダとは、広島県に本拠地を置く自動車を製造販売する会社です。
広島はマツダと共に発展した町といってもいいでしょう。
また、マツダは広島のプロ野球球団である広島東洋カープの親会社でもあります。
広島駅に到着
やがて天神川駅(てんじんがわえき)を過ぎると、広島県の県庁所在地である広島市の中心駅である、広島駅(ひろしまえき、広島県広島市)に着きます。

広島駅(広島県広島市)
人口110万人の都市・広島市
広島県広島市(ひろしまし)は、広島県の県庁所在地であり、広島県最大の都市です。
それのみならず、中国地方・四国地方合わせてすべての最大の都市でもあります。
人口は約110万人であり、東北地方最大の都市である宮城県仙台市(せんだいし)と同規模の街でもあります。
また、広島駅は全ての「のぞみ号」が停車する重要かつ大きな駅です。
「4時間の壁」東京~広島は、新幹線・飛行機どっちが勝つ!?
東京から広島までの新幹線で約4時間の距離であり、まさに新幹線の「4時間の壁」の狭間にあります。
そのため、航空機との競合でいうとどちらが有利かは微妙であります。
「4時間の壁」とは、新幹線での所要時間が4時間以上かかると航空機に勝てない、とする法則です。
羽田空港~広島空港はおよそ1時間のフライトですが、広島空港は広島市から東に車で1時間以上離れた「本郷(ほんごう)」という位置にあります(むしろ三原市に近い)。
そのため、こうした状況から新幹線有利とも航空機有利ともいえない状況です。
なお、東京から新幹線で約6時間かかる福岡は、福岡空港が福岡市街地にかなり近い位置にあるため、圧倒的な航空機の勝利となっています。
「第5師団」が置かれた、広島城

広島城(広島県広島市)
広島城にはかつて、陸軍の「第5師団」が置かれました。
明治時代、多くの城は取り壊された
江戸時代に建てられていた城は、明治時代に入ってから多くが取り壊されました(1873年の廃城令)。
しかも、江戸時代は「一国一城制」といって、大名が軍事力を増強して幕府に歯向かうのを防ぐために、城の建築は著しく制限されていました。
軍事的価値のある城は残された
明治時代に入って多くの城は取り壊されましたが、その一方で軍事的に価値のある城は取り壊されずに残されました。
広島城もその一つです。戦争中に原爆投下で壊滅状態になりましたが、戦後に復興されました。
城と「師団」の一覧
鉄道唱歌に関係あるところでは、当時の大日本帝国陸軍の師団は以下の通りです。
- 北海道旭川市→第7師団
- 宮城県仙台市→第2師団
- 石川県金沢市→第9師団
- 大阪府大阪市→第4師団
- 広島県広島市→第5師団
- 熊本県熊本市→第6師団
なお、「師団(しだん)」とは、軍隊の細かいチーム分けをした単位のことをいいます。
広島には不可欠な存在「広島東洋カープ」
広島といえばやはり、広島に本拠地を置くプロ野球球団の広島東洋カープです。
「樽募金」から始まった市民球団
広島東洋カープは1950年代に「樽募金(たるぼきん)」という市民からの募金活動によって発足しました。
いわば、市民と一体になって戦う市民球団ということになります。
広島東洋カープの色は、もともとは現在のような「赤」ではなく「紺色」でした。
結成から20年もの間、低迷続き
結成から約20年間もの長い期間はずっと勝てずに、低迷が続きました。
あまりにも勝てないので、
「太陽が西から昇ることがあっても、カープが優勝することはない」
などという、非常に酷いことも言われていた時期もあったようです。
60年代は、1968年に3位と一度はAクラス入りを果たしたものの、他は全てBクラス(4位~6位)であり、1963年・1967年・1969年は最下位に沈んでしまっていました。
さらには1972年・1973年・1974年には三年連続最下位など、もはやチームの低迷ぶりはヤバい事態となっていました。
1975年に転機 山本浩二と衣笠祥雄の活躍で、初優勝
しかし、そんなカープにも1975年、ここで転機が訪れました。
チームの色を「紺色」から燃える闘志を示す「赤」に変え、
- 山本浩二(やまもと こうじ)
- 衣笠祥雄(きぬがさ さちお)
というカープの英雄ともいうべき選手が大活躍し、1975年に記念すべき初優勝をしました。
山本浩二は「ミスター赤ヘル」として、広島では英雄視されています。
その後25年間低迷も、2016年~2018年に三連覇
そして1991年の優勝を最後に25年間優勝から遠ざかっていましたが、2016年から2018年にかけてカープが3連覇を果たすと、広島は一気にカープのブームとなり盛り上がりました。
本拠地のマツダスタジアムは客席が真っ赤に染まり、「カープ女子」や「神ってる」といった言葉も流行しました。
戦争末期には原爆も投下された、広島市
しかし、広島は1945年8月6日の原爆投下によって人類初の核兵器が落とされた街という側面もあります。
広島市には戦争の虚しさを後世に残すという目的で「原爆ドーム」があります。
また、2023年5月には、先進国7カ国の首脳が集まって会議を行う「G7(ジーセブン)」も、広島で行われることとなりました。
次回以降から、広島と戦争の歴史、さらに戦争の虚しさについて、さらに深掘りしていきます。
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